「あなたにとって“贅沢”とはなんですか?」
こんな質問をされたら、あなたならどう答えるでしょうか?
ファイナンシャルプランナー(FP)としてライフプランのご相談を受ける時、しばしばこの「“贅沢”とはなにか」という問題に遭遇します。
この問題が出てくる時は、残念ながらあまり楽しいお話ではない場面がほとんどです。例えば、ライフプランを検証した結果キャッシュフローがマイナスになった場合に、大多数の相談者の方がこう口にするのです。
「特に“贅沢”しているつもりもないんですが…。」
ご本人としては、想像を下回る厳しいライフプランを突きつけられた時に咄嗟に出てしまう言葉なのかもしれません。思いもよらなかった悪い結果が出てしまったら、そう言いたくなる気持ちもよく分かります。
いつも私が面談の時に言っていることですが、初めから完璧なライフプランが出来上がる人などいません。大切なのは始めに作ったライフプランに一喜一憂することではなく、そのライフプランを検証して「どう良くしていくか」なのです。
実はこの“贅沢 ”という考え方が、ライフプランを改善していく過程に大きな影響を与えます。
それは一体どういうことでしょうか?
今回のコラムでは「“お金の相談”の専門家」であるFPと一緒に、“贅沢”という言葉の意味を考えてみましょう。
人はどんな時に「贅沢したなー!」と感じるのでしょうか。
いくつか考え方はあると思いますが、一般的なのは“いつも”や“普通”と違うお金の使い方をした時でしょう。自分の基準から逸脱した時に、人は“贅沢”を感じるはずです。
しかし、この“いつも”や“普通”は人のよって当然のように違います。
例えば、いつも700円のランチを食べている人がたまに1,200円のランチを食べたらその人にとっては“贅沢”ですが、普段から1,200円のランチを食べている人にとってはそれは“普通”になってしまうわけです。
ということはつまり、その人の“普通”がどうやって形成されているのかで、その人の“贅沢”の基準も変わってくると言えるでしょう。
“贅沢”を読み解くためには、まずは「普通とはなにか」を考えてみる必要がありそうです。
その人にとっての“普通”のお金の使い方はどうやって決められるのか。
FPとしてこれまでいろいろな方のご相談を受けてきた経験から、その人の“普通”が決定される過程は以下の3つのパターンに大別できるように思います。
まずは、自分の育ってきた家庭環境がその人の“普通”となるケースです。
子供の頃から自分の家庭で普通に行われていたことが、大人になってから「実はかなり特殊だった」と気付くような話はよく聞きますが、そのくらい育ってきた環境はその人の“普通”に大きな影響を与えます。
私が“お金の相談”を受ける時も、ご夫婦間での金銭感覚のズレが揉め事の原因になっている案件も多くありますが、そうした場合もこの「育ってきた環境の差」にその原因があることは少なくありません。
誤解のないように申し上げますが、これは「どちらが良い悪い」というお話ではありません。どんな家庭であってもそれぞれの判断基準があり、それがその家の人にとっては“普通”となるからです。
しかしながら、気をつけたいのが「自分たちの親世代とは社会環境が全く異なっている」という事実です。国としての経済成長率は言うに及ばす、30年前とでは雇用や年金制度のあり方もまったく違います。
ほとんどの変化は残念ながら個人にとって悪いほうに変わっていますから、あまり自分たちの親世代を基準にするのは危険です。自分の親が大丈夫だったからといって、自分も同じように振舞うと後で「こんなはずじゃなかった…」ということになってしまうかもしれません。
もう一つ多いのが、同世代と比べて“普通”を推し量るやり方です。
同じような年齢であれば家族構成も似たようなものになることも多いでしょう。ましてや、同じ会社や同業種の人であれば給与水準にも大きな差はないはずです。
そんな人同士がお互いを比べ合って「あそこと同じような暮らしだから“贅沢”ではない」と考えているようなケースは珍しくありません。
ただし、とかく日本はお金のことを秘密にする文化がありますから、外側から見えているものが「真実」とは限りません。
同じような年齢や家族構成でも共働きか否かでキャッシュフローは全然変わってきますし、実家からの援助の有無も家計に大きな影響を与えます。特に住宅予算などは、親からの援助で予算が大きく変わってしまう典型的な例です。
さらに重要なのが、「そうして比べ合っている人たちの中に正解がいるとは限らない」ということです。
同世代だけで比べていると、結局最後まで誰もゴールを知らないままでの比較となってしまいます。お互いを参考にして長年やってきたとしても、結果としてどちらも間違っていた…という可能性は十分にあるのです。
3番目は自分の欲望と戦いながら、“普通”を模索するパターンです。
こう書くと少し特殊な例に聞こえるかもしれませんが、要するに「欲しいものは色々あるけれど、それを我慢しているのだから自分は“贅沢”していない!」という考え方です。
誰でも普通に生活していればいろいろと欲しいものが出てくるでしょう。もっと美味しいものも食べたいし、たまには海外旅行に行ってみたいと思うこともあるはずです。
ただ、「確かな根拠はないけれど、そうした思いを全て欲望のままに実行してはさすがにマズいはず…」と感じて、そうしたお金の使い方に自分でブレーキをかける人が大多数です(中にはブレーキを持ち合わせていない人もいますが-苦笑)。
すると、そこに「欲望にブレーキをかけている自分のお金の使い方は“普通”なんだ」という、ある種逆説的な発想が生まれるわけです。
理屈で考えるとおかしく感じますが、現実にはこうした基準で考えている人は少なくありません。もしかしたら、あなたの周りにもこんな人がいるのではないでしょうか?
では、「“お金の相談”の専門家」FPが“普通”を考えるとどうなるのでしょうか。
やはりFPですから、人生のお金の収支をシミュレーションした「ライフプラン」がその判断基準になってきます。
ライフプランの詳しい説明はここでは省きますが、端的に言えばFPとしては「ライフプランが成立していれば“普通”」と考えるべきだと思っています。
その家庭のライフプランが成立していれば、それは「その家庭はお金をしっかりコントロールできている」ということの証明です。
これは「人生の長い期間に渡って、収入にふさわしい支出を計画している」と言い換えても良いでしょう。つまり、この場合の“普通”とは「人生において得られる収入に見合ったお金の使い方をしている」という意味になります。
逆にライフプランが成立していなければ、これは“贅沢”と言えるはずです。本人の感じ方がどうであれ、途中で破綻してしまうようなライフプランでは「収入に見合った支出をしている」とは到底言えないからです。
もしかしたら、ライフプランで考える“普通”は、上でご紹介した3パターンのどの“普通”とも開きがあるかもしれません。中にはライフプラン上の“普通”が想像以上に低い水準のため、それを受け入れられない人もいます。
ただ「“お金の相談”の専門家」であるFPとしては、相談者の方の問題を解決するためにその判断基準となる「客観的な根拠」を示さなければなりません。
その根拠とは、親世代や同年代との比較結果ではなく、ましてや本人が我慢しているかどうかの問題でもなく、人生における収支をシミュレーションする「ライフプラン」なのです。
誰でもお金の問題と向き合うのは勇気がいるもの。漠然とした不安を密かに抱えながらも解決策に向けて一歩踏み出せずにいるのは、仕事に忙殺されている日常では仕方のないことなのかもしれません。
ですから、私はセミナー等で皆さんにこんな言葉を贈っています。
「問題は何が問題か分かれば半分解決したも同然」
不安を解消するために行き当たりばったりの対応をしても、根本的な解決とはなりません。少し言葉は厳しいですが、それは「何もしないよりマシ…」と自分を偽って現実から逃げているだけなのです。
不安を抱えながら生きていくのは、決して楽しいことではないはず。恐れずに「自分のお金」と真剣に向き合って問題の本質を理解できれば、必ず解決策は見えてきます。
この機会に“贅沢”という言葉を通して、あなたもぜひ一度「自分のお金」について考えてみてください。